ベルリンの中心にあるブランデンブルグ門。
ベルリンが西と東に別れていたときには
ちょうどこの門も壁の一部となっており、
門の向こう側が東ベルリン、
手前側が西ベルリンで、門を通ることは
できなかった。
前回来たときはバスでベルリンに入り
今回は飛行機。
街自身も大きく変わったし、
中学2年のときには、それほど街の様子に
興味もなかったし、あったとしても覚えてない。
だから飛行場からホテルまでの間は
全く新しい街に来た感じだった。
ただこのブランデンブルグ門だけは別。
この門についた瞬間に
あー、大きく変わったなあ、と実感した。
修学旅行で来ているのだろうか。
楽しそうに学生が門の下を通りすぎる。
さも当たり前のように。
「違うんだよ、知ってる?ほんの20年前はそんなことできなかったんだよ!」
そう叫びたい気分でいっぱいだった。
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2010年7月31日土曜日
ベルリンの壁
ベルリンと言えば、やはりベルリンの壁。
1989年(1990年かな?)の崩壊後、市内の壁は
ほとんど壊されてしまったわけだが
その一部はまだ残っている。
もちろん、壁の存在価値は大きく変わったわけだが。
この写真はまだ残っている壁。
高さはそれほど高くなく、2mちょい。
ただし、当時はこの壁はこの2m以上の意味を持っていた。
1961年8月13日、突如ベルリン市内に現れた
この壁はその後30年間東西冷戦の象徴であり、
市民の自由な行き来を遮断していた。
様々な悲劇やドラマの舞台であった壁も今はある意味でただのオブジェ。
僕も散歩をしていて、「あれ?これって壁?」
と気づいたほど。
役目を終えてもそこにあり続ける壁は
何を思っているのだろうか。
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1989年(1990年かな?)の崩壊後、市内の壁は
ほとんど壊されてしまったわけだが
その一部はまだ残っている。
もちろん、壁の存在価値は大きく変わったわけだが。
この写真はまだ残っている壁。
高さはそれほど高くなく、2mちょい。
ただし、当時はこの壁はこの2m以上の意味を持っていた。
1961年8月13日、突如ベルリン市内に現れた
この壁はその後30年間東西冷戦の象徴であり、
市民の自由な行き来を遮断していた。
様々な悲劇やドラマの舞台であった壁も今はある意味でただのオブジェ。
僕も散歩をしていて、「あれ?これって壁?」
と気づいたほど。
役目を終えてもそこにあり続ける壁は
何を思っているのだろうか。
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20年ぶりのベルリンへ
いまから3ヶ月も前の話だが
出張でドイツのベルリンに行ってきました。
中学2年の時に修学旅行で行ったのは
1988年頃。
当時ベルリンはまだ東と西に別れており
国境の検問も厳しかった。
ベルリンの壁が崩壊して20年。
生まれ変わったベルリンで感じたことを
書き綴ります。
それにしても、パリ-ベルリンの飛行機は
小さかったなあ。。。
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出張でドイツのベルリンに行ってきました。
中学2年の時に修学旅行で行ったのは
1988年頃。
当時ベルリンはまだ東と西に別れており
国境の検問も厳しかった。
ベルリンの壁が崩壊して20年。
生まれ変わったベルリンで感じたことを
書き綴ります。
それにしても、パリ-ベルリンの飛行機は
小さかったなあ。。。
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2010年7月30日金曜日
2010年7月10日土曜日
2010年7月4日日曜日
セビリアのカテドラル
アルカサル(王宮)のすぐ横にあるのは大聖堂。
こちらも世界遺産。
この大聖堂はとにかく大きい。
カトリックの大聖堂としては世界の5本の指に入るらしい。
そう言われても実際のところ、ピンと来ないけど。
中に入ったときに大きいとも思ったけど、
涼しい!との思いの方が強かった。
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こちらも世界遺産。
この大聖堂はとにかく大きい。
カトリックの大聖堂としては世界の5本の指に入るらしい。
そう言われても実際のところ、ピンと来ないけど。
中に入ったときに大きいとも思ったけど、
涼しい!との思いの方が強かった。
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