東ベルリンと西ベルリンを分けていたベルリンの壁。
ベルリンの統一を境にそのほとんどは
壊されてしまった。
それでも悲劇を忘れないためにか、
壁があった場所には、写真のように
壁がここにあったことを示す線が引かれています。
ベルリンは大きく変わった。
会社の会議で冒頭、誰かがスピーチで「Paris is always Paris」
という言葉に対して
「Berlin is always no longer Berlin」
(超うろ覚え)という言葉がある、
なんて言っていたが、
きっと本当にそうなのだろう。
東ベルリンに住んでいたわけでもないし
ほんの数日滞在しただけなのだが
この壁の名残と、明るくなったベルリンを見たら
なんだか自分が歴史の証人になった気がしました。
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2010年8月1日日曜日
チャーリーチェックポイント
西ベルリンと東ベルリンはいくつかの場所で
行き来することができた。
その一つがこのチャーリーチェックポイント。
中学2年の時にバスで
東ベルリンから西ベルリンにはいったとき、
ここだったかは定かではなかったが
検問は厳しかった。
バスの中のチェックはもちろん、
鏡でバスの車体の下をくまなく写して
誰かがひそんでいないかを確認。
このチャーリーチェックポイントの横に
ベルリンの壁博物館というのがあり、
その中に当時どのようにして東ベルリンから
西ベルリンへ密入国したかが展示されている。
トランクを2つつなぎ合わせて、その中に隠れたり
車のシートのなか、ボンネットの中。
気球だったり、軍人に変装してなど。
それを考えると隠れる場所が多そうな
バスなどはチェックが厳しくなるのだろう。
冷戦の最中、世界中でも最も緊張していた
この場所は
今は観光名所となっています。
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行き来することができた。
その一つがこのチャーリーチェックポイント。
中学2年の時にバスで
東ベルリンから西ベルリンにはいったとき、
ここだったかは定かではなかったが
検問は厳しかった。
バスの中のチェックはもちろん、
鏡でバスの車体の下をくまなく写して
誰かがひそんでいないかを確認。
このチャーリーチェックポイントの横に
ベルリンの壁博物館というのがあり、
その中に当時どのようにして東ベルリンから
西ベルリンへ密入国したかが展示されている。
トランクを2つつなぎ合わせて、その中に隠れたり
車のシートのなか、ボンネットの中。
気球だったり、軍人に変装してなど。
それを考えると隠れる場所が多そうな
バスなどはチェックが厳しくなるのだろう。
冷戦の最中、世界中でも最も緊張していた
この場所は
今は観光名所となっています。
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昔のブランデンブルグ門
ベルリンが東西に別れていたときは
ブランデンブルグ門はこんな感じ。
当時の写真が近くに展示してあったので
それをぱちり。
これは西側の写真で、門の手前に壁があり
その手前に簡易バリケードがある。
僕が修学旅行で行ったときもこんな感じ。
壁の手前に
「注意!あなたは東ベルリンに入ろうとしています」
(実際にはここからは入れないのだが)
の看板が立っていて、幼心にもなんだか
本当にヤバイものがそこにある、というのがわかった。
東ベルリン、というか東ドイツにも
当時行ったのだが、コーラが不味くて
なんだかすべてがモノクロのように記憶されてる。
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ブランデンブルグ門はこんな感じ。
当時の写真が近くに展示してあったので
それをぱちり。
これは西側の写真で、門の手前に壁があり
その手前に簡易バリケードがある。
僕が修学旅行で行ったときもこんな感じ。
壁の手前に
「注意!あなたは東ベルリンに入ろうとしています」
(実際にはここからは入れないのだが)
の看板が立っていて、幼心にもなんだか
本当にヤバイものがそこにある、というのがわかった。
東ベルリン、というか東ドイツにも
当時行ったのだが、コーラが不味くて
なんだかすべてがモノクロのように記憶されてる。
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2010年7月31日土曜日
ブランデンブルグ門
ベルリンの中心にあるブランデンブルグ門。
ベルリンが西と東に別れていたときには
ちょうどこの門も壁の一部となっており、
門の向こう側が東ベルリン、
手前側が西ベルリンで、門を通ることは
できなかった。
前回来たときはバスでベルリンに入り
今回は飛行機。
街自身も大きく変わったし、
中学2年のときには、それほど街の様子に
興味もなかったし、あったとしても覚えてない。
だから飛行場からホテルまでの間は
全く新しい街に来た感じだった。
ただこのブランデンブルグ門だけは別。
この門についた瞬間に
あー、大きく変わったなあ、と実感した。
修学旅行で来ているのだろうか。
楽しそうに学生が門の下を通りすぎる。
さも当たり前のように。
「違うんだよ、知ってる?ほんの20年前はそんなことできなかったんだよ!」
そう叫びたい気分でいっぱいだった。
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ベルリンが西と東に別れていたときには
ちょうどこの門も壁の一部となっており、
門の向こう側が東ベルリン、
手前側が西ベルリンで、門を通ることは
できなかった。
前回来たときはバスでベルリンに入り
今回は飛行機。
街自身も大きく変わったし、
中学2年のときには、それほど街の様子に
興味もなかったし、あったとしても覚えてない。
だから飛行場からホテルまでの間は
全く新しい街に来た感じだった。
ただこのブランデンブルグ門だけは別。
この門についた瞬間に
あー、大きく変わったなあ、と実感した。
修学旅行で来ているのだろうか。
楽しそうに学生が門の下を通りすぎる。
さも当たり前のように。
「違うんだよ、知ってる?ほんの20年前はそんなことできなかったんだよ!」
そう叫びたい気分でいっぱいだった。
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ベルリンの壁
ベルリンと言えば、やはりベルリンの壁。
1989年(1990年かな?)の崩壊後、市内の壁は
ほとんど壊されてしまったわけだが
その一部はまだ残っている。
もちろん、壁の存在価値は大きく変わったわけだが。
この写真はまだ残っている壁。
高さはそれほど高くなく、2mちょい。
ただし、当時はこの壁はこの2m以上の意味を持っていた。
1961年8月13日、突如ベルリン市内に現れた
この壁はその後30年間東西冷戦の象徴であり、
市民の自由な行き来を遮断していた。
様々な悲劇やドラマの舞台であった壁も今はある意味でただのオブジェ。
僕も散歩をしていて、「あれ?これって壁?」
と気づいたほど。
役目を終えてもそこにあり続ける壁は
何を思っているのだろうか。
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1989年(1990年かな?)の崩壊後、市内の壁は
ほとんど壊されてしまったわけだが
その一部はまだ残っている。
もちろん、壁の存在価値は大きく変わったわけだが。
この写真はまだ残っている壁。
高さはそれほど高くなく、2mちょい。
ただし、当時はこの壁はこの2m以上の意味を持っていた。
1961年8月13日、突如ベルリン市内に現れた
この壁はその後30年間東西冷戦の象徴であり、
市民の自由な行き来を遮断していた。
様々な悲劇やドラマの舞台であった壁も今はある意味でただのオブジェ。
僕も散歩をしていて、「あれ?これって壁?」
と気づいたほど。
役目を終えてもそこにあり続ける壁は
何を思っているのだろうか。
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20年ぶりのベルリンへ
いまから3ヶ月も前の話だが
出張でドイツのベルリンに行ってきました。
中学2年の時に修学旅行で行ったのは
1988年頃。
当時ベルリンはまだ東と西に別れており
国境の検問も厳しかった。
ベルリンの壁が崩壊して20年。
生まれ変わったベルリンで感じたことを
書き綴ります。
それにしても、パリ-ベルリンの飛行機は
小さかったなあ。。。
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出張でドイツのベルリンに行ってきました。
中学2年の時に修学旅行で行ったのは
1988年頃。
当時ベルリンはまだ東と西に別れており
国境の検問も厳しかった。
ベルリンの壁が崩壊して20年。
生まれ変わったベルリンで感じたことを
書き綴ります。
それにしても、パリ-ベルリンの飛行機は
小さかったなあ。。。
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