今回の旅行では結構ずっとビーチに
いたということもあり、
ちゃんとした、あるいはスペインっぽい食事を
とったのは2回くらい。
写真はそのうちの一回。
高城剛も「世界最高」と言っている
Can Salinesという食堂のFideua。
Fideuaとはパエリアの一種なのだが
お米ではなく、パスタで仕上げてあります。
海鮮の出汁とレモンの風味、そしてパスタの食感が最高です。
周りが塩田で山と海が見える田舎にあるという
食堂のロケーションもなかなかです。
Sent from my BlackBerry® wireless device
2010年8月16日月曜日
2010年8月12日木曜日
ベルリン出張を終えて
2泊3日のベルリン出張が終わったのが金曜日。
パリに戻ってそのまま、次はポーランドに行きました。
ポーランドで感じたことはまた別途書きます。
Sent from my BlackBerry® wireless device
パリに戻ってそのまま、次はポーランドに行きました。
ポーランドで感じたことはまた別途書きます。
Sent from my BlackBerry® wireless device
2010年8月11日水曜日
壁の名残
東ベルリンと西ベルリンを分けていたベルリンの壁。
ベルリンの統一を境にそのほとんどは
壊されてしまった。
それでも悲劇を忘れないためにか、
壁があった場所には、写真のように
壁がここにあったことを示す線が引かれています。
ベルリンは大きく変わった。
会社の会議で冒頭、誰かがスピーチで「Paris is always Paris」
という言葉に対して
「Berlin is always no longer Berlin」
(超うろ覚え)という言葉がある、
なんて言っていたが、
きっと本当にそうなのだろう。
東ベルリンに住んでいたわけでもないし
ほんの数日滞在しただけなのだが
この壁の名残と、明るくなったベルリンを見たら
なんだか自分が歴史の証人になった気がしました。
Sent from my BlackBerry® wireless device
ベルリンの統一を境にそのほとんどは
壊されてしまった。
それでも悲劇を忘れないためにか、
壁があった場所には、写真のように
壁がここにあったことを示す線が引かれています。
ベルリンは大きく変わった。
会社の会議で冒頭、誰かがスピーチで「Paris is always Paris」
という言葉に対して
「Berlin is always no longer Berlin」
(超うろ覚え)という言葉がある、
なんて言っていたが、
きっと本当にそうなのだろう。
東ベルリンに住んでいたわけでもないし
ほんの数日滞在しただけなのだが
この壁の名残と、明るくなったベルリンを見たら
なんだか自分が歴史の証人になった気がしました。
Sent from my BlackBerry® wireless device
2010年8月1日日曜日
チャーリーチェックポイント
西ベルリンと東ベルリンはいくつかの場所で
行き来することができた。
その一つがこのチャーリーチェックポイント。
中学2年の時にバスで
東ベルリンから西ベルリンにはいったとき、
ここだったかは定かではなかったが
検問は厳しかった。
バスの中のチェックはもちろん、
鏡でバスの車体の下をくまなく写して
誰かがひそんでいないかを確認。
このチャーリーチェックポイントの横に
ベルリンの壁博物館というのがあり、
その中に当時どのようにして東ベルリンから
西ベルリンへ密入国したかが展示されている。
トランクを2つつなぎ合わせて、その中に隠れたり
車のシートのなか、ボンネットの中。
気球だったり、軍人に変装してなど。
それを考えると隠れる場所が多そうな
バスなどはチェックが厳しくなるのだろう。
冷戦の最中、世界中でも最も緊張していた
この場所は
今は観光名所となっています。
Sent from my BlackBerry® wireless device
行き来することができた。
その一つがこのチャーリーチェックポイント。
中学2年の時にバスで
東ベルリンから西ベルリンにはいったとき、
ここだったかは定かではなかったが
検問は厳しかった。
バスの中のチェックはもちろん、
鏡でバスの車体の下をくまなく写して
誰かがひそんでいないかを確認。
このチャーリーチェックポイントの横に
ベルリンの壁博物館というのがあり、
その中に当時どのようにして東ベルリンから
西ベルリンへ密入国したかが展示されている。
トランクを2つつなぎ合わせて、その中に隠れたり
車のシートのなか、ボンネットの中。
気球だったり、軍人に変装してなど。
それを考えると隠れる場所が多そうな
バスなどはチェックが厳しくなるのだろう。
冷戦の最中、世界中でも最も緊張していた
この場所は
今は観光名所となっています。
Sent from my BlackBerry® wireless device
昔のブランデンブルグ門
ベルリンが東西に別れていたときは
ブランデンブルグ門はこんな感じ。
当時の写真が近くに展示してあったので
それをぱちり。
これは西側の写真で、門の手前に壁があり
その手前に簡易バリケードがある。
僕が修学旅行で行ったときもこんな感じ。
壁の手前に
「注意!あなたは東ベルリンに入ろうとしています」
(実際にはここからは入れないのだが)
の看板が立っていて、幼心にもなんだか
本当にヤバイものがそこにある、というのがわかった。
東ベルリン、というか東ドイツにも
当時行ったのだが、コーラが不味くて
なんだかすべてがモノクロのように記憶されてる。
Sent from my BlackBerry® wireless device
ブランデンブルグ門はこんな感じ。
当時の写真が近くに展示してあったので
それをぱちり。
これは西側の写真で、門の手前に壁があり
その手前に簡易バリケードがある。
僕が修学旅行で行ったときもこんな感じ。
壁の手前に
「注意!あなたは東ベルリンに入ろうとしています」
(実際にはここからは入れないのだが)
の看板が立っていて、幼心にもなんだか
本当にヤバイものがそこにある、というのがわかった。
東ベルリン、というか東ドイツにも
当時行ったのだが、コーラが不味くて
なんだかすべてがモノクロのように記憶されてる。
Sent from my BlackBerry® wireless device
登録:
投稿 (Atom)
