2011年5月20日金曜日

ゴッホ美術館@アムステルダム

クレラー・ミュラー美術館を出た後は
一路アムステルダムへ。車で1時間ほど。

次に向かうはアムステルダムのゴッホ美術館。

ピカソ展をやっていたこともあり
アムステルダムのゴッホ美術館はさすがに混んでる。
入るのに行列ができていた。

構成はクレラー・ミュラー美術館と同じで、
オランダ時代から彼の絵がどのように移り変わっていったかを
順に追って行く形の展示スタイル。

ピカソ同様に時代とともに
スタイルが大きく変わる画家だから、
こういう見せ方ができるんだろうな。

ここの美術館にも「馬鈴薯を食べる人」を始めとする
オランダ時代の絵画が充実しているし
南仏を離れた後のオーヴェル・シュル・オワーズ時代の絵画などは
クレラー・ミュラー美術館よりも多い。

ただ、個人的に好きなのはやっぱりアルル・サンレミで描かれた作品。

「ひまわり」、「アイリス」、「黄色い家」、「寝室」といった
有名な絵もよいのだが
特に「収穫」という絵が心に残った。
(画集からパチリ)


麦畑の黄色が特徴的で
どこまでも続くプロバンスの景色が
とても奥行きがあり、夏の陽の光を感じられます。

あとは「サン=ポール精神病院の庭」。
夕暮れの太陽がもたらす黄色は、
控えめながらとても力強いです。

ゴッホを求めて、パリからオランダに来ましたが、
次はアルルに行きたくなりました。

2011年5月17日火曜日

Kröller Müller Museum

2大ゴッホ美術館の最初はKröller Müller Museum。

アムステルダムから60kmほど東にある

オッテルローという町の国立公園の中にあります。

僕が美術館に着いたのは開館時間10時を少し過ぎた頃だったが

既に中には日本人ツアーが2組ほど。

日本人はゴッホ好きなんだなあ。


この美術館はゴッホがメインなのだが

他の作品もたくさんあります。


ゴッホのコーナーは2部屋に分かれており

一つ目の部屋がパリまでの時代に描かれた絵で、

そして二つ目はアルルからの時代の絵。


一つ目の部屋は、総じて絵が暗い。

これはゴッホがミレー同様に、農民の苦しい絵を

主に題材にしていたからなのだが、

本当にこの人が、この数年後にあの明るい絵を描くのだろうか

と思うくらいである。


この時代で有名なのは

「馬鈴薯を食べる人」という作品なのだが

少し漫画タッチで絵全体は暗い。


パリに移ると少し絵は明るくなり、

例えば「種のできた4つのひまわり」などは

少し暗さは残っているものの、光をうまく捉えている。


二つ目の部屋には

アルルおよびサンレミで描かれた絵画が中心で、

ここにある絵は基本的に明るい。


特に僕が好きなのは、この「夜のカフェテラス」。

黒を使わないで夜を描いたこの絵の中で

黄色と青色が激しくぶつかり、

でもその二色は調和がとれていて

ぐぐっと惹きつけられる。


その他に有名な絵としては

「ラングロワの跳ね橋」や「糸杉のある道」、


「アルルの女」などなど、

どこを見てもゴッホの素晴らしい絵が飾られています。


アルル以降のゴッホは、

後半は筆のタッチが大胆になり

色使いも濃く、暗さが出てくるので

個人的にはこのアルルとサンレミ時代の絵が好きだな。


アムステルダムから少し離れているせいか

あまり混んでおらず、名画を独り占め。


3時間ほどゆっくり満喫したあとで

いざアムステルダムへ。


ちなみにオッテルローは

田舎町なんだけど、とても洗練された街。

豊かな自然のなかに、控えめなモダニズムがうまく融合してる感じ。

雰囲気の良さげなレストランがたくさんあり

この街をゆっくりみてもよかったかな。

2011年5月16日月曜日

ゴッホを求めてオランダへ

2010年7月にオルセー美術館に行ったときのこと。


もともとはセザンヌの絵でも見よう、

というつもりで行ったのだが、

そこで「午睡」という絵を通して、

がぜんゴッホに興味が湧いた。



ゴッホが絵を描き始めたのは、

実は遅く1880年、彼が27歳の時。


最初はミレーのように暗い色彩で農民の生活を描いていた。

その後1886年にパリに移り、そこで当時全盛だった印象派絵画に出会い、

それまでの暗い色彩から脱却。


その後1888年にアルルに移り、

ここから後に名作となる絵がたくさん生まれる。


しかし、てんかんの発作があったゴッホは

1889年にサンレミの病院に移る。

ここでも精力的に絵を描き、

独特のうねりや渦が強く現れるのもこの頃。

そして1890年にパリ郊外のオーヴェル・シュル・オワーズに移るも

間もなく自殺。


彼が画家として活動していたのはわずか10年。

その間に900枚点の油彩、1100点のデッサンをした

ゴッホはやはり炎の画家、という表現がふさわしい。

ちなみに生前に売れたは一枚だけだったとか。


そんなゴッホの作品を見に

オランダにある2つの美術館に行ってきました。


クレラー・ミュラー美術館と

アムステルダムのゴッホ美術館です。


ゴッホの人生はここのサイトに分かりやすくあります

2011年5月4日水曜日

フィロパポスの丘から見たアクロポリス

アテネではリカヴィトスの丘というのが最も高く

確かに眺めもよいのだが、

パルテノン神殿を見るのであれば

フィロパポスの丘のほうが奇麗に見えたように思う。


丘に登る入り口のあたりは、

僕が行ったのが夕方だったためか

どことなく薄暗く、一見するとちょっと怪しげな人たちが

たむろしており、気味悪さもあったのだが

そこを越えると、あとはひたすら登るだけ。

15分も登るとみはらしのよい場所に出る。

曇ってはいるけど、わずかに夕陽にさらされるアクロポリス。

当時はここが世界の中心だったのだ。


今のギリシャは、経済という面では

世界のお荷物になっているが、

現在の世界の基盤をつくったのは、まさにこの街と言えるのだろう。

2011年5月2日月曜日

ゼウス神殿@アテネ

古代アゴラを観た後はゼウス神殿に。

かつては104本もの柱があったと言われるこの神殿は

ゼウスを祭るためだったらしい。


ただ、現在残っている柱はわずか15本。


広大な敷地は当時のままだと思うけど

その広さをもてあそぶように立っている柱が

時の長さを物語っている。

2011年5月1日日曜日

古代アゴラ@アテネ

アクロポリスの次に向かったのは古代アゴラ。

ここは昔の市場。ただ実際には市場を越えた存在で

政治、宗教、文化の中心であったらしい。


紀元前およそ450年前、

民主主義が発展したアテネでは弁論術が発達し、

一方で自然科学やそこから生まれた自然哲学も発達した。

その中心的存在が、ここアゴラ。


今となっては、ただの廃墟同然となっている部分がほとんどだけど

ヘファイストス神殿のように、原形を十分に残しているものもある。

この古代アゴラの一角で、ソクラテスがその独特の対話術で

道行く人を混乱させ、それを弟子のプラトンは見ていたのだろう。


彼らが何を語り、なにを考えていたのだろうかは分からない。

ただ、彼らも僕と同じようにアクロポリスの丘を眺めていた事は間違いない。

2400年も前の哲学者と同じものを見ているというのは

なんだかとても不思議な感じだ。